住職は国際的視点に立って 、無宗教、他の宗教であっても、
専称寺の納骨処「The White Rord of The Pure Land for People」(民衆へ浄土の白道)を
ご理解し希望なされれば、下記料金にて受け入れいたします。
納骨経費内容:40,000円
(非課税 / 含:法名・管理費・永代経・一年間護寺協力費*)
最後のお別れで、収骨は合祀でなく、個人祀です。但し、収骨後は返却致しません。
*護寺協力費を頂きますので、一年間信徒会員として専称寺の年間行事(除夜の鐘・修正会、花まつり、春秋の彼岸会、総永代経法要、盂蘭盆会、報恩講、七昼夜法要、研修バス旅行等)に参加が出来ますし、眞照殿にて法要も出来ます。2名様の納骨の場合で申請者(願人)が1名の場合、1名分の護寺協力費です。
24才の時、引かれるように関先生のニュ-ヨ-ク佛教会にいました。関先生は、正にパワフルな大乗佛教の僧でした。鈴木大拙先生を敬い、英語で佛教を語る関先生の下で、学ぶご縁を頂く事ができました。当時佛教会の会員の方々が、「先生がおられるので、安心できます」と言われていたのを聞いた時、ただ関心しました。関先生に、「佛教を実(体)験せよ」と教わった事を受け、今までに住職は二度挑戦したことがあります。
一度目は、平成8年・9年に大津市、志賀町の浄土真宗58ヶ寺の参加を得て、「蓮如上人五百回遠忌記念催し会」を発足させました。地域を限定したのに、他府県からの参加希望の声を頂きました。住職の父が大谷派(東)で、母が本願寺派(西)の僧籍を持っていた事もあり、東西を語る僧侶に不自然さを感じていました。住職は、現在においては、徳川家康によって東西分派させられたことに従う事は不要と思いました。蓮如上人御廟、山科東西別院、南殿光照寺を網代笠に黒衣で歩き、大津の東西別院へ練り歩きました。記念催しで、100名の稚児を募り、フリーマ-ケットを催し、俳優松方弘樹を招いて東西合同の記念法要をしました。500年前の蓮如上人の在世時には、本願寺は一つで、東西分派は無かった事を実(体)験しました。
二度目は、平成21年・22年に、「親鸞さまのお通りイン関西」と題して、青年期の親鸞さまに想いをよせました。親鸞さま「百日参籠追体験」として、比叡山大乗院から光永大闍梨と多くの参加者と、京都六角堂へ18キロ歩きました。出発時には60名ほどが、到着時には飛び入り参加などで500名ほどの人並になりました。
続いて、比叡山無動寺谷大乗院のご本尊「蕎麦喰木像」さまと、光永覚道大阿闍梨が関西の真宗七ヶ寺を訪れました。 桂花團治さんも参加しました。最後に比叡山大乗院で「親鸞聖人750回御遠忌法要」をお勤めました。熟年の落ち着いた「座る」親鸞さまでなく、若くて煩悩苦悩に満ちた、民衆に近い「動く」親鸞さまとの出会い実(体)験をしました。
住職は最近まで、佛教の活動は似た考え方を共有できる方々と歩むべきものと思っていました。しかし、お釈迦さまが「二人して一つの道行くなかれ」といわれた事、親鸞さまが「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり」と言われたお言葉が、心に響くようになってきました。佛教は学問的な解説を聞いても、自分の体験が無ければ、体得出来ないと言えます。住職が「大乗佛教の原点を踏まえ、民衆とどう向かい合うべきか」を考えるようになって、漸く、関先生のお言葉が理解できるようになりました。
時間を要しましたが、住職は国際的な視点をもった大乗佛教の僧として、無宗教、他の宗教の方々の前に立つことを決意しました。今回が住職にとっては、三度目の実(体)験となります。専称寺本堂内の阿弥陀如来さまの後方に、大乗佛教の思想に立脚した納骨処、「The White Rord of the Pure Land for People」を設置し、ご希望者の遺骨を収骨させて頂きます。新しい人々との出会いを、大切にしたいと思います。